時に素敵な男性に巡り会うことがあります。しかも、同性から見て何が素敵だと思うのか。それは『自然な立ち振る舞い』から感じるものかも知れません。そこを突き進めると『堂々としているが決して偉そうではない』に行き着くのです。
何故か出世したり事業に成功したりすると得てして『偉そうに振る舞う人』が出て来ますよね。多くの方は益々頭を低くして対応されます。しかし、これも相手によって使い分けると、それはとても『素敵な男性』には見えません。
同様に、女性でもおられますよね。確かに、男性の目から見ても純粋に『素敵な女性』に出会うことがあります。いずれにせよ、ある程度の年代になってから醸し出されるものですから、現役を退いた後でもそのような感じを誰かに与える人って、本当に素晴らしいと思います。では、その本質に迫ってみます。
目次
1.堂々とした態度の背後にある謙虚さ
テレビで『世界のふれあい街歩き』という番組を偶然目にしました。その番組内では、西欧人でしたが、高齢者の方々が幸せそうに談笑しています。そこでインタビューをするのですが、なぜかしら『立ち振舞い』がとても素敵なのです。思わず見入ってしまいました。さらに、次の街角でもそうです。まさに笑顔の中に溢れる『人格』、その雰囲気は接する人まで幸せにしてくれるようでした。
実は、かって私の上司であった方にもこのような人がいました。テレビと同じく、初めての出会いからもうその魅力に引き込まれるのです。そうした方々を見習うべく観察していくと、それはどうも『堂々としているが決して偉そうではない』という姿勢に魅了されているのだと気づきます。
『堂々としているが決して偉そうではない』人々は自信もあり周囲に影響を与える力があるけれども、同時に謙虚で他者を尊重する姿勢も持ち合わせているのです。それこそ、このような特質はリーダーシップの観点からも、人生の見本となるべき人だと思ってしまいます。
2. 堂々としているが決して偉そうではない人々の魅力
さらに、堂々としている人々は自分の能力や価値を認識しているとは思うのですが、それによって他人を踏みにじることはありません。もちろん、彼らの自信は傲慢な態度ではなく、むしろ他者に対する尊重を伴っているように思います。この自信と謙虚さの絶妙なバランスが信頼感を生み出し、周囲の人々を引き寄せる魅力になっているのではないでしょうか。
おそらく、この偉そうではない人々は、自身の過去の挫折や失敗の経験から学び、謙虚さを保ちながら成長されてきたように思います。とにかく、彼らは心に余裕のある人達のように見えます。それゆえに、他人の意見や知識を自然に受け入れる姿勢を持ち合わせているのです。つまり、この学びの過程が彼らの人間的な魅力を高めているのではないでしょうか。
そこで、このような方がスーツ姿になれば、きっとそれは素晴らしい『紳士』に見えるに違いありません。
3. 謙虚な魅力を持つ人々の価値
『堂々としているが決して偉そうではない』人々は、その存在自体が周囲に良い影響をもたらしますよね。さらに、彼らの自信と謙虚さの絶妙なバランスは素晴らしいものです。それがリーダーシップや個人的な魅力を高める要因となっているように思います。
引退すれば周りの仲間も減ると同時に、毎日多くの人に顔を合わせることもなくなります。でも今まで出会った『堂々としているが決して偉そうではない』方々を忘れることなく、彼らを意識した姿を維持できれば、明るい気持ちで生活できるはずだと思っています。それこそ『目指したい姿』と捉えて楽しんで生きていきたいものです。
4. 終いに
例えば『偉そうに』と言う表現を最近の言葉で『上から目線』と置き換えればわかりやすいですね。そこで、絶えず『上から目線』になっていないか、自分自身を何度も振り返りたいものです。実は、私も妻から指摘を受けることがあるのですがその時の自分には自覚はないのです。しかし、冷静に振り返ると確かにある部分の話し方が『上から目線』になっていたことに気づきます。ほんと、偉くもないのに悪い癖がついたら中々直るものではないですね。
しかし、『堂々としているが決して偉そうではない』という言い方を変えて、これからは『何となくカッコいい高齢者』を目指せば良いのかなと思っています。それも、もっと軽い感じで。そのためにもいつもしょぼくれることなく、『目指したい姿』を追って、前を向いて生きて行きたいと思っています。
今回もここまで読んで下さりありがとうございます。
2023年8月20日 さえき ひかる


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