人生で一番感極まった日のヒーロー『長嶋茂雄』監督逝く

空の不思議
長嶋茂雄監督、永遠に・・・

 長嶋茂雄監督に影響を受けた方は多いのではないでしょうか。しかし、残念ながら本日2025年6月3日、亡くなられました。

 心よりご冥福をお祈りします。

 ただ、個人的には当時の長嶋選手に忘れえぬ思い出があります。それは、1974年10月14日、後楽園での長嶋選手の引退試合です。もちろん、私はこの日の出来事を半世紀経った今でも鮮明に覚えています。

 

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 引退試合のその日は朝から長嶋茂雄選手の話で持ちきりでした。そこで、みんなも授業が終わったらテレビで見るのだと意気込んでいましたが、私の下宿の部屋にはテレビがないので友達の下宿に行くことになっていました。ところが、その友達は帰って来ずに私一人で見ることになったのです。

 あの方は『ミスター』と呼ばれ、私が小さい時からみんなのヒーローでした。だから、連日、ラジオから流れる巨人戦の実況放送に耳を澄ませていたものです。その頃から小学校での午後の遊びは野球になりました。ちなみに、まだサッカーなど知らない時代です。さらに、グラブも全員には行き渡らなかったけれど、小学校と父兄が揃えてくれました。本当に、何もかも忘れてゲームに打ち込む楽しい日々でした。

 そのヒーローの引退は私たちにとっても大きな意味を持っていました。なぜなら、ずっと15年間くらい、夢中で追いかけていた人が引退するのです。それはとても辛く寂しいことでした。

 ついに、引退セレモニーが始まります。そこで、あの長嶋茂雄選手が初めて涙を見せたのです。その瞬間こそが、それまでの私の人生で一番感極まった瞬間だったのです。なのに、ハンカチがなかったのか、涙でぐしゃぐしゃになってしまって、最後は友達の部屋に転がっていたトイレットペーパーで涙を拭っていました。もちろん、人生で一番泣いた日でした。

 それ以降、社会人になってもあの「人を包み込む様な笑顔」を見せるヒーロー『長嶋茂雄』監督は私の憧れの人であり続けたのです。もちろん、多くの国民から愛される人でもありました。

 あの『笑顔』に憧れ、あの『笑顔』を真似してきた自分ですが、とてもできるものではありません。しかし、これからも生ある限りはあの『笑顔』を真似て微笑んで生きて行きたいと考えています。同じように長男の一茂さんもテレビで触れる度にミスターに似ている部分を感じ取れます。

 ずっと『ミスター』のことは忘れません。ありがとうございました。

 安らかにお眠り下さい。

 何もできませんが、長男と次女のお二人はこれからも応援して参ります。

 合掌。

2025年6月3日     さえき ひかる

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