あれもこれもしたいと考えている方。それって『欲張り過ぎ』なのかも知れません。その『欲張り過ぎ』から解放されることでストレスがなくなり、余裕のある自分を感じることができます。
実際には、あそこにもここにも行きたい、あれもこれも欲しいと考えるのは特別なことではないですよね。しかし、その想いが強くなると気づかぬうちにそれがストレスになってしまうのです。
その想いは自分では気づかないので、人から「欲張り過ぎじゃない?」と言われるまでわかりません。だから言われた瞬間にはそれほどの意識がないのです。しかし、そのために時間に追われたりすると何故こんなことになるのだろうと感じます。そして「これが欲張り過ぎなのだ」と気づくことになります。
目次
1.『欲張り過ぎ』からの解放
そう言えば『断捨離』をしている最中にもそんな言葉が出てきますね。「そんなに何でもかんでも取っておいてどうするの?」と。でもその時にはそれがストレスになっているなんて感じてはいないのです。それならばと片付けて物が減って来ると、その時に初めて、「これってストレスになっていたんだなあ」と悟ります。そうして、その『欲張り過ぎ』によるストレスから解放されたことに気づくのです。
この『断捨離』の例からも分かるように、物が減って空間が増えることで、今までには感じることのなかった快適さに気づきます。そうなのです。『欲張り過ぎ』から解放されることで心にも余裕が出て来るのです。
まさしく、この気持ちはその『欲張り過ぎ』という想いを断つ『断捨離』とも言えます。そういう意味でも、自分は『欲張り過ぎ』ではないかと自問自答することが大切なのです。
2. 欲張りは他人との比較だけではない
ここで述べている欲張りとは他人との比較ではありません。純粋に色々なことに挑戦したい、物を大切にしたい、単純に美味しい物が食べたいといったようなあくまで自分の中にあるものを指しています。ですから誰かと比べる行為ではありません。人から褒められたいとか、一番になりたいとかの思いではないのです。
では何かというと、目一杯やりたい、行きたい、食べたいの世界なのです。勉強も遊びも、動も静も、もっと激しく言えば何もかもの欲張りなのです。それこそ、相反するその両方を欲してしまう様な行為と思考だと思えば良いかも知れません。だからこそ、気づかずにどんどんその感覚が進んで行くのでしょうね。
3. 終いに
それにしても『人生100年時代』を意識して生きて行くにはこの『欲張り』とも言うべき、絶え間ない色々なチャレンジをして行く必要があると感じています。しかし、知らずに自覚せずに突き進んでしまうので、いつの間にか心の余裕を失ってしまいがちです。
そこで一旦、立ち止まり、振り返ることで感じられる『ほっとした気持ち』を持てることが、長続き出来る秘訣ではないでしょうか。
「あれもこれもと気にしなくて良いんじゃないかな?」と思うことです。あれもこれもの中には『心配事』もありますよね。皆様にとっての『あれもこれも』を今一度思い浮かべて戴いた上で、一度立ち止まって振り返れば、きっとその強い想いから解放されて楽になった自分に気づくことでしょう。
今回もここまで読んで下さり、ありがとうございます。
2023年10月30日 さえき ひかる
コメント